2009年05月28日

評論家が何故そんなに偉いのか

色々なメルマガを見ています。

ネットビジネス関係も、多数含まれています。
大半は、読むに値しないゴミですが、中でもタイトルだけで削除しているのが、幾つかあります。

近頃多いのは、田原総一郎がどうのこうのというもの。
これなどは、直ぐにゴミ箱に捨てるか、そのメールそのものを迷惑メール扱いにして処理します。



田原総一郎。
信じ難いことですが、意外と人気があるようですね。
どこが、どうしてそんなに一般受けするのか、私にはさっぱり分かりませんが。



よく、政治家は討論相手の発言を聞かずに自分の意見だけを言う、と言われますね。

本当に、そう思います。
子供達への教育という面からは、完全な反面教師にしかなりません。
いや、それ以下か。

単純に言えば・・・見苦しい。



それ以上に見苦しい代表が、田原総一郎です。



せっかく呼んだ代議士の発言を途中で遮り、自分の見解を述べて、次の発言を促す。
見る人によれば、これが格好よく受けているのでしょうが、少なくとも私にはまったく反対に映ります。


私が聞きたいのは評論家風情の言い分ではなく、代議士の意見なのです。
たとえそれが時間の無駄に等しい下らない発言であっても、少なくとも一切の責任を負わない無責任な評論家の意見ではないのです。


無意味な発言を繰り返すならば、その代議士はそういう人物なのだと判断出来ます。

ところが、田原総一郎はその機会を奪ってしまいます。
逆の言い方をするならば、危ないと思った時点で、その代議士の発言を妨害している。
つまり、彼は、完全な政治家寄りの評論家であると言えますね。

いや、もはや評論家の範疇にも存在しない。
いわゆる提灯記者のひとりに過ぎないのです。

それが偉そうに言うから、腹が立つのです。


周りがおだて上げるから、余計に腹が立つのです。




そして、そのような無責任な周囲の人間全てに対して、憤るのです。




だから、彼を持ち上げるかのような低俗な記事には、一切触れません。
直ちに消去するのです。



評論家は、所詮評論家なのです。
彼が批判する政治家にすらなれない、そんな半端な田原総一郎に、なんで有難味を感じるのでしょうかね。

どんな有り難さが有るんでしょうかね。


誰かを批判するのは簡単です。
私にだって出来ます。
その批判の表現や切り口、やり方が上手だからと言って、対象者が居なければ何も出来ない人間じゃないですか。

評論家がどれだけ偉いと言うのでしょうか。


たかが他人のあらを探して追求しているだけの、実に下らない人間でしかない。
そんな人間を評価する人間を、私は評価しない。


posted by 恭助 at 23:03 | 激しく怒る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする