2009年08月01日

日教組こそ社会の脅威に

日本教職員組合。通称日教組には、実は良く分からない部分が多い。
第二次大戦中、真実を曲げて教育した自らの過ちと後悔。その過去の反動から一気に過激に走るのも理解出来ない訳ではないし、どのような立場に置かれても信念を貫こうとする姿勢は評価しても良いと思っていた。
が、自分が社会に出て外側から学校教育を見てみると、全く違った見方となった。

最も違和感を覚えたのは、旧社会党よりの方針。特に北朝鮮の教育制度を絶賛する姿には、あの戦争時代の過ちを認めたものとはとても思えなくなった。
狭小な視野は、少しも改善されていない。
そんな視点での教育が、いったいどのような生徒を産み出すと考えているのだろうか、と。

幸いにも小中学校時代、一人を除いてはそのような偏った思想に基づいた教育を受けた覚えは無いが、それは私自身が2度の転校を行った為に、永くひとりの教師についたことが無かったことも理由になるかも知れない。

教師自身になんらかの偏見があってはならない、などと言うつもりはない。
国の礎となるべき少年少女を育てるのが、本義だと考えていたのだから。
だがこの考え方も、過ぎれば戦前の日本教育であるだろうし、現在の中国、韓国、そして北朝鮮のあまりにも偏った教育になりかねない。

教育は難しい。
年少だからということではなく、大人になってからでも人間は比較的簡単に他者の考えに導かれてしまう。
オームの例を出すまでもないだろう。
ならば本当に幼い子供達は、どのように教育するのがいいのだろう。

これを考え始めると、本当に難しいと感じてしまう。

だからといって日教組の迷走が許されるとは、絶対に思わない。
なによりも北朝鮮の拉致問題批判を批判するという信じ難い姿勢には、絶対に同調出来ない。

現場の教職員が現実に日教組の方針を信奉して実行しているとは思わないが、一部にはいても不思議ではない。
君が代や日章旗を、国歌や国旗と認めない現場を見ていると、それがよく分かる。
もちろん、背後での日教組からの強制でもあるだろうが、それを進んで受け入れている現場もある。


官僚の腐敗がよく話題に上るが、どのような組織もそれを構成する人間の質が落ちれば堕落腐敗する。
特に政治的な部分での考え方がはびこると、加速する。つまり、組織内での権力志向だ。
そして組織の本義を見失い、組織の存続のみを目指すことになる。

古来、ひとを教え導く立場にあると自覚した人は、時の権力には烏合しなかった。
為に権力者側からは弾圧を受けるなどしたものだ。
だが今日の教育者側には、そのような高尚な精神は伺えない。
むしろ積極的に政治に関与しようとさえする。
旧社会党議員の多くに日教組関係者が存在した事実を忘れてはいけない。

自ら権力欲にまみれた俗人と認識していながら、なんで他人を教導出来るのか。
その精神を疑う。

2007年のプリンスホテルと日教組のトラブルは、今回被告ホテル側に賠償と謝罪広告を求める判決が出されたが、この事実を見ても、もはや日教組はある種の恐喝団体となんら変わらない存在となりつつある。

教員も所詮は一個の人間である以上、その存在は保証されるべきだ。もはや過去の教師と同じレベルで資質を求めるのは時代錯誤というものだろう。
だが、だからこそ自らを律する姿勢が望まれるのだが、統括すべき日教組にその姿勢が見られないのは残念だ。
己の権利ばかりを主張する日教組には、もはや他人を教導する資格はないと断じて良い。
過去にどこかの政治家が、日教組は国のガンだと断じたが、全く同感だ。

このガンは、国を滅ぼすことに存在意義を見いだしているらしい。国が亡くなれば、己の存在も失われることにすら気付かない、愚かな集団だ。


やがて行われる衆議院選挙。
どこを選ぼうか迷っているが、この日教組とのつながりが薄い団体を選ぶのが最も簡単かもしれない、などと考えてもしまうと言ったら、軽薄すぎるだろうか。

posted by 恭助 at 11:24 | 激しく怒る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする